2020年 5月31日(日) その1
宇治駅周辺
平等院
  平等院は1052年に関白・藤原頼通によって創建されました。当寺の日本には末法思想が広まっていました。この思想によると、釈尊(釈迦の尊称)が入滅してから2000年後、仏法が廃れ、世の中が荒れると言われており、ちょうどこの1052年がその年(末法初年)に当たるとされていました。折しもこの時期、国内には天災や飢饉、疫病などの災難が続き、当時の人々は世の終わりが来ていると考え、来世で救われたいという考え方が広まります。そのため、当時の貴族たちは来世の理想世界である極楽浄土をこの世に具現させようと寺院造りが盛んに行われました。頼通は摂関政治で有名な藤原道長の跡継ぎで、平等院は「宇治殿」と呼ばれる道長の別荘地だった所でした。頼通はそこに平等院という寺を造り、さらに翌年、浄土の世界をあらわす阿弥陀堂を建立したのです。ここは当時の権力者である頼通が、その財力を尽くして作った極楽浄土の世界でした。そのため平等院は平安時代の浄土思想を人々に普及させ聖地として位置づけられました。その平等院で核となるのが鳳凰堂です。鳳凰堂はいわゆる藤原氏の栄華を今に伝えるほぼ唯一の遺構だと言われ、建物は池の中島に建てられているため、その姿が水面に浮かぶように見えます。まるで極楽浄土の宮殿が池に浮かんでいるように見える造りとなっているのです鳳凰堂内中央にあるのが阿弥陀如来坐像です。浄土思想ではこの阿弥陀如来が往生する人を迎えに来てくれるといわれています。平安時代後期の伝説的仏師・定朝の作で、現存している仏像で定朝作ものはこれだけだと言われます。そのほか、堂の内部には九品来迎図や極楽浄土図と呼ばれる美しい絵画が螺鈿や極彩色の絵の具で描かれ、透かし彫りの天蓋もあります。柱などには天女や楽器を演奏する童子などが、往生する人を先導してくれるかのように描かれています。平安時代の人々は自分が往生するときに、極楽からこのような感じでお迎えが来ると信じていたといわれています。平等院は、1994年にユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成要素の一つに指定されています。(平等院HPより)
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