「死をいとひ生をもそれ 人間のゆえ定まらぬこころ 知るのみ」 「手の平に豆腐を のせていそいそと いつもの角を 曲りて帰る」
松陰が当山を訪れた時の住職は松陰の叔父であった 「男の顔は履歴書である」 
 「いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ」  
庭園となした「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園です
 二つの橋も数えて十八曲りに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。鶴ヶ岡から鎌倉周囲の山並みが幾重にも波状をなして重なり、遠くには箱根の山々が霞んで見える。右手には霊峰富士が大きく裾を広げ、そして足下には、相模湾の海原が自然の池を成しているのです
 庫裡にて、講師 瑞泉寺 大下一真御住職による「夢窓疎石の世界」の講座を受講
 【夢窓国師年譜】
1275年 伊勢で、武家に生まれる。                  
1278年 甲斐に移住。出家、密教を学ぶ。
1293年 禅を志し、建仁寺、建長寺、円覚寺等で修行。
1305年 高峰顕日から嗣法。美濃 虎渓山、土佐 五台山に棲む。
1319年 鎌倉勝栄寺、横須賀 泊船庵、上総 退耕庵に棲む
1325年 南禅寺に移棲
1327年 浄智寺に移棲。 瑞泉寺創建し、翌年徧界一覧亭を創建。
1329年 円覚寺に移棲。再び瑞泉寺戻った後、甲斐恵林寺を創建。
1333年 鎌倉幕府滅亡。
1334年 後醍醐天皇に説法す。  南禅寺に再棲。
1335年 嵐山に臨川寺を創建。
1339年 西芳寺中興。  後醍醐天皇薨去。 天龍寺の開山に着手。
1351年 示寂。享年76歳。
【偏界一覧亭に題す】
天は尺地を封えて帰休を許す。遠きを致め深きを探って自由を得たり。此処に到って人々の眼皮綻ぶ。河沙の風物、我焉んぞ隠さん。

(天はわずかな土地をわれに与えて休息を許してくれた。遠くに望む富士山や近くに見える相模の海はわたしの庭だよ。この景色を眺めれば、誰でも笑顔になるよ。斯様な処の良さがわからない人はいないだろう。)[上記随意解釈]
夢窓礎石は作庭することは修行であると語っている        
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